2019年5月座楽会

講師:善光寺事務総長 小林 順彦氏
演題:「信州の街道と善光寺信仰」
日時:令和1年5月21日(火)18:00~18:50
場所:レストランやま

長野市は2年後の令和3年に善光寺御開帳を控えていることもあり、当会の顧問である長野商工会議所 岩野彰副会頭のご紹介で、身近にありながら実はあまり知らない善光寺について、善光寺事務総長の小林順彦氏にご講演いただきました。
以下、講演の概要です。


信州の街道と善光寺信仰

はじめに

善光寺信仰を語るには、善光寺のことだけを学んでもダメ。
昔からの雑多な歴史、大衆文化が混沌と混ざり合って、「善光寺信仰」となるのです。
善光寺の御本尊は、日本最古の仏(絶対秘仏)。
「女性を救ってくれる」と言われるのは、高野山、比叡山が女人禁制であったため。

「ふだん、坊さんは何やってるの?」

善光寺は無宗派の寺院ですが、天台宗と浄土宗の山内寺院によって護持されています。私は天台宗の僧侶で、善光寺門前で宿坊を営み、宿泊者をお朝事にご案内するなど、宗教法人として活動しています。大正大学で教鞭をとったりもしています。

善光寺の「お朝事」は毎朝、日の出とともに始まります。大勧進を出発する「衆来(しゅうらい)」の時間は季節ごとに異なり、5月は6:00。毎日1分ずつ早まって、夏至には5:30となり、秋彼岸の頃にはまた6:00に。

「奉行」という本堂の責任者が、天台宗から毎日4名ずつ当番で本堂に泊まっておつとめをしています。衆来の2時間前に瑠璃壇の掃除をし、1時間前には内々陣の唐戸を開きます。

善光寺につながる、たくさんの「道」

信州には大小500もの峠があり、昔は皆、歩いて越えてきました。 街道の関所は「入り鉄砲」「出女」「人見改め」「関所婆」など厳しく、「女街道」「姫街道」と呼ばれる道もありました。

・行先の名がついた「善光寺街道」、反転すると「伊勢道」。
・関西からは木曽谷(中山道)を越え、「北国西脇街道」で洗馬宿、郷原宿。聖高原の難関「刈谷原峠」「立峠」、「猿ケ馬場(さるがばんば)峠」(北国西街道)では善光寺平を見下ろし「あとは下るだけ」と泣いて喜んだという。
・松代は「谷街道」。
・富山からは親不知・子不知15kmの難関を越えて来た。
・信州のお歳とりの魚といえば、松本は「ぶり」、北信は「鮭」。
「越中ぶり」 → 「飛騨ぶり」 → 「松本ぶり」

善光寺を目前にして流れる犀川は、増水時には「丹波島の渡し」で渡れず、小市から久米路まで迂回が必要だったため、県歌・信濃の国で「心して行け久米路橋」と歌われています。
丹波島には宿場があり、今も丹波島橋のたもとの住宅街にはその名残が見られます。
(長野にはこんないいところがたくさんあります。市長にも言っているが、ぜひもっと伝えてほしい!)

【豆知識】
「一光三尊」像は善光寺の型。全国に500近くある。
京都・清水寺の左には「善光寺堂」があり、善光寺型の釈迦三尊像が安置されている。

開かれた善光寺

善光寺には宗派がない。檀家制をとっていない。菩提寺があっても「善光寺を信仰している」と言っている人も多い。
「亡くなると皆、善光寺に来る」 → 善光寺は「亡くなった人に会える寺」と言われます。
7~8月、高い柱の上にぼんぼりが灯るのですが、これは粗盆に仏さんがやって来るための目印。「お戒壇巡りで、死んだ祖母が手を引いてくれた」という話も。

善光寺は、誰でも24時間お参りできます。小学生がランドセルを背負って通ります。落書きもされます(笑)。

血管のようにつながった道を、歩いてきた人を、迎えてきた善光寺。
雑多で、猥雑。お酒、喧嘩、祭りなどと関連が深く、ピュアでない「市井の人」の息吹が息づいているのが、善光寺です。

ぜひ、善光寺周辺を「歩いてください」。


法衣の重厚さもあり、ひと目で距離を感じる僧侶ですが、懇親会でもたいへんざっくばらんにさまざまなお話をしていただきました。こんなに近くにあっても知らないことの多さに驚きながら、善光寺をぐっと身近に感じることができました。

小林事務総長、ありがとうございました。

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